That the wide diffusion of culture, and the education of humanity for justice and liberty and peace are indispensable to the dignity of man...
「FUKUOKA UNESCO」14号
1979年12月31日
「FUKUOKA UNESCO」14号 1979年刊行 B5版179頁 1,300円(送料込)
- 〈特集〉東南アジア・ASEAN5ヶ国主要都市視察研究報告
日・中関係の視点
美術と風土を考える-〔美術座談会〕-
青木繁・その魔性の痕跡
「東洋史上より見た日中交流の視点」 松本雅明氏(熊本大学名誉教授)
〈内容紹介〉 |
はじめに |
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「日中国交回復に憶う」 西尾陽太郎氏(九州大学名誉教授、西南学院大学教授)
「一中国人日本留学生の軌跡 ― 施復亮の場合 ―」 平野 正氏(西南学院大学助教授)
「モスクワとワシントンから見た日中平和友好条約」
John J. Stephan 氏(ハワイ大学歴史学教授) ※(武藤 潔氏 訳)
〈内容紹介〉 |
序言 |
条約 |
米国の反応 |
ソヴィエトの反応 |
展望 |
「東南アジア諸国の都市と文化」
-ASEAN5ヶ国主要都市の文化・教育施設視察研究報告-
光吉健次氏(九州大学工学部教授)
〈内容紹介〉 |
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〔美術座談会〕
美術と風土を考える-青木繁・坂本繁二郎・古賀春江・冨田溪仙・児島善三郎を中心に-
ゲスト:河北倫明氏(京都国立近代美術館長)
谷口鉄雄氏(九州大学名誉教授/九州産業大学教授)
鈴木健二氏(九州芸術工科大学教授)
藤田吉香氏(洋画家)
古川智次氏(福岡県文化会館学芸員)
満生和昭氏(北九州市美術館学芸員)
尾野正晴氏(福岡市美術館学芸員)
〈座談会の内容紹介〉 | |
5人の画家の対比略年表について | |
風土と5人の画家のとらえ方 | |
風土の影響-中央と地方- | |
風土に於ける自然性と時代的背景 | |
画家の実感から | |
古賀・冨田・児島の美術展を催して | |
北九州の地域性 | |
伝統への反発のパターンを考える | |
日本人と油彩画の距離 | |
九州に日本画家の少ない理由は | |
戦後のUターン現象から | |
画家の目から見た青木繁と坂本繁二郎 | |
― 青木 繁 ― ― 坂本繁二郎 ― ― 青木と坂本の違い ― |
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東洋的という日本的意識 | |
生命の原点としてのUターン現象 | |
冨田溪仙の遍歴について | |
筑後の画家の系譜とは | |
筑後と筑前の風土性 | |
松田諦晶について | |
坂本繁二郎の身辺にあって ― その自然認識 ― | |
坂本の洋画家になる動機 | |
青木・坂本と梅野満雄の三友関係について |
「青木繁・その魔性の痕跡」 竹藤 寛氏(福岡ユネスコ協会事務局長)
〈内容紹介〉 | ||
序 | ||
第1部 青木繁の臨終をめぐる諸問題 ― 三つの基礎資料から見た異説の誤謬について ― |
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第1節 二つの梅野満雄像 | ||
梅野満雄像・その1-坂本繁二郎・河北倫明氏に見る- | ||
梅野満雄像・その2-梅野を忌避する人達 | ||
異説の発端-梅野満雄と加野宗三郎をめぐるフィクション- | ||
第2節 虚構の史実化への展開-青木繁の絶筆問題を中心に- | ||
定説を否定し、曖昧に… | ||
第3節 青木繁の臨終前後の状況について -資料「青木繁の臨終の記」と「松浦病院長からの聞書き」- |
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親友 青木繁の生涯-梅野満雄 | ||
青木繁の病蓐日誌 | ||
末弟・青木義雄の「青木繁の臨終の記」 | ||
松浦病院長からの「聞書き」 | ||
「聞書き」の考察 | ||
第4節 梅野満雄と鹿野宗三郎 -福田蘭童宛の加野宗三郎書簡から- |
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「加野宗三郎書簡」前半の考察-その1- | ||
青木繁と面識がなかった加野宗三郎 | ||
誤謬の原因を考える | ||
「加野書簡」後半の考察-その2- | ||
「加野書簡」の意図-梅野誹謗の3点から | ||
第2部 若き日の福田蘭童と梅野満雄 -蘭童の未公開書簡と梅野書簡(控)から- |
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第1節 青木繁の遺児であることの社会的認知 | ||
第2節 父青木繁への思慕-若き日の蘭童の書簡から- | ||
初めての父繁の墓参と梅野訪問-「いろこの宮」への執念- | ||
第1書簡の考察 | ||
蘭童と梅野の密月時代-蘭堂の恋情- | ||
第2書簡の考察 | ||
音楽家蘭童の活躍 第3書簡 | ||
第3書簡の考察 | ||
若き日の蘭童をめぐる女性関係 第4書簡 | ||
第4書簡の考察 | ||
久留米への演奏訪問 | ||
第5書簡の考察 | ||
再度の久留米演奏の依頼 第6書簡 | ||
第6書簡の考察 | ||
英彦山を越えて 第7書簡 | ||
第7書簡(葉書)の考察 | ||
第3節 梅野書簡に見る、蘭童の挑戦 -遺作品をめぐっての告訴事件- |
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青木繁遺作展覧会と蘭童母子 | ||
蘭童母子の屈折の心理 | ||
破局へ 第8書簡 | ||
第8書簡の考察 | ||
結び |
bulletin
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