〈特集1〉第9回九州国際文化会議
第1部 テーマ “21世紀の世界と日本の選択”

記念講演
「20世紀をふり返って21世紀を考える」
ロナルド・ドーア氏(イギリス/ロンドン大学名誉教授)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| 国際社会における日本の位置づけ |
| 日本社会の階級制度と階級構成を考える |
| 日本型資本主義の特性 |
| 自信喪失の時代 |
「日本の選択について」 加藤周一氏(評論家)
| 〈内容紹介〉 |
| 少しばかりの歴史 |
| イラク戦争へ米国の誘発 |
| 憲法を守るということ |
| 「米国と中国」をめぐる政治的撰択 |
| 日本の文化問題を考える |
| 個人主義と共同体 |
| “今ここ”文化について |
| 階層化の課題 |
第1部討議
コメント:ロマノ・ヴルピッタ氏(イタリア/京都産業大学教授)
| 〈内容紹介〉 |
| もし、イラク戦争が“起きた場合” 日本の選択は |
| 戦後50年を無駄にした日本 |
| 日本政治の世襲制度の悲劇 |
コメント:劉 岸偉氏(中国/東京工業大学教授)
| 〈内容紹介〉 |
| 日本近代史における三つの選択 |
| 孫文のアジア主義と王道 |
| 日本異質論の脱却を |
| ラフカディオ・ハーンの視点を |
討議
| 〈討議の内容紹介〉 |
| 国際協力を考える |
| 一歩進んだ国際的法秩序を |
| 日本は王道を歩め |
| 日本の大失敗 |
| 核兵器問題を考える |
| 普通の国としての歩みを |
| デジタル文明と情報の偏り |
| 1945年以降の戦後史の意味 |
第2部 テーマ “今世紀における日本研究の課題-各国における日本研究の状況-”
発表
「中国における日本研究の状況」
徐 一平氏(中国/北京外国語大学教授・北京日本学研究センター主任)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| 一、過去の研究 |
| ニ、北京日本学研究センターと中国の日本研究 |
| 三、今後の課題 |
「不思議の国・日本の研究-フランスの日本学について-」
フランソワ・ラショウ氏(フランス/フランス国立極東学院所長)
| 〈内容紹介〉 |
| 「不思議の国」とは |
| シャルル・アギノウェール先生 |
| ベルナール・フランク先生 |
| ルネ・シフェール先生 |
| フランスの日本研究の特徴 |
| 日本研究の将来 |
| (レジュメ) |
はじめに |
|
第二次大戦後の状況 |
|
21世紀の課題 |
「ドイツにおける日本研究の状況」
スヴェン・サーラー氏(ドイツ/ドイツ日本研究所研究員)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| ドイツの日本研究発展の経過 |
| 大学改革とドイツの日本研究 |
| 日本研究の「国際化」 |
| ドイツの日本研究の問題点と将来 |
「インドにおける日本研究と日本語教育の現状と方向性」
P. A. ジョージ氏(インド/ネール大学準教授)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| インドにおける日本研究と日本語教育の過去と現状 |
| 北インドにおける日本語教育と日本研究 |
| デリー大学とネール大学における日本研究と日本語教育 |
| 西インドにおける日本語教育 |
| 南インドにおける日本語教育 |
| 東インドにおける日本語教育 |
| インドにおける日本語教育の普及を妨げる原因 |
| インドにおける日本研究と日本語教育の問題点 |
| インドにおける日本語教育の方向性 |
「韓国における日本研究の現状と展望」
崔 在喆氏(韓国/韓国外国語大学教授・前日本研究所長)
| 〈内容紹介〉 |
| 1.日本研究、経済研究 |
| 2.日本社会研究と文化交流 |
| 3.日本語教育の歩みと現況 |
| 4.日本関連学会 |
| 5.日本文学の翻訳紹介と研究傾向 |
| 6.日本研究の問題点とその課題、展望 |
「ロシアの日本学・過去と未来の間で」
アレクサンドル・ドーリン氏(ロシア/東京外国語大学教授)
| 〈内容紹介〉 |
| ロシア日本学の運命 |
| アカデミック交換の推移 |
| ロシアの日本学者の将来 |
| (レジュメ) |
ロシアにおける日本学をめぐる状況 |
|
80年代から現在へ |
「アメリカにおける日本研究の現状-人文科学を中心に-」
デヴィッド・ハウエル氏(米国/プリンストン大学教授)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| 言語について |
| 社会科学の分野について |
| 人文科学について |
| 「周縁」をめぐって |
| 「戦前・戦中・戦後」の歴史観の見直し ― 「近代史」としての「現代史」 |
| (レジュメ) |
「近代化」(Modernization)から「近代」(Modernity)へ |
|
「周縁」へのまなざし・アジアのなかの日本 |
|
「戦前・戦時中・戦後」の歴史観の見直し ― 「近代史」としての「現代史」 |
第2部討議
| 〈討議の内容紹介〉 |
| はじめに |
| 差異と共通点 |
| 日本語能力の「面」と「裏」 |
| 日本における日本の伝統的文化の“受容” |
| 日本文化の表層と深層 |
| 日本語の問題を考える |
| 「選択」の意味を考える |
| 宗教の問題とは |
| 世界における経済利益と戦略的覇権 |
| 市民レベルでの国際的連帯を |
| 世界の変化に遅い日本の新聞 |
| 中国の新しい日本研究の動向について |
| 伝統と現在との結びつきを考える |
| 「文献学」か理論か |
| 北朝鮮の人もこの場へ |
| 特殊性と普遍性を考える |
| 日本語と中国語は近くて遠い |
| コンピュータ時代の中・日コミュニケーションの課題 |
| 誰に向かって語るのか |
| 翻訳の課題とは |
| 文献から理論的解釈へ |
| 日本語とインドのドゥラビダ語について |
| 韓国人が日本語を習う場合の困難 |
| 日本のマスコミに見る被害者意識の強調 |
| 「謝る」ということについて |
| 新しい日本研究の意味 |
| 日本の若者の国文学・古典文化離れ |
| アメリカの日本研究を省みて |
| 欧州で日本研究が一番多いドイツ |
| 普遍と独自の共存 |
総括:鶴見俊輔氏(評論家)
| 〈総括の内容紹介〉 |
| 内藤湖南の偉さ |
| アメリカ人が千年の目をもつとき |
| 京都で育つ文化人 |
| 日本文学の可能性 |
| おわりに |
福岡ユネスコ協会創立55年記念文化講演会
「日本の外からと内から」 鶴見俊輔氏(評論家)
| 〈内容紹介〉 |
| 世界語としての日本語 |
| 人と思想との間の隙間 |
| 福岡ユネスコについて思う |
| 高橋正雄氏との出会い |
| アベグレン氏発言の重さ |
| サイードについて |
| 私の尊敬する日本人 -万次郎と金子文子- |
| 福岡ユネスコの会議から |
| ① |
ビン・シン氏 |
| ② |
サビトリ・ビシュワナタン女史 |
| ③ |
ヴルピッタ・ロマノ氏 |
| ④ |
ウィリアム・タイラー氏 |
| ⑤ |
オギュスタン・ベルク氏 |
| ⑥ |
ロナルド・ドーア氏 |
| ⑦ |
ドナルド・キーン氏 |
| ⑧ |
呉学文氏 |
| ⑨ |
李御寧氏 |
| ⑩ |
姜在彦氏 |
| ⑪ |
パトリック・デ・ボス氏 |
| ⑫ |
加藤周一氏 |
| ⑬ |
永井道雄氏 |
〈特集2〉当協会55年の歩み小史概要
A.会誌「FUKUOKA UNESCO」1号~38号各巻目次
B.会誌「編集後記」瞥見
C.55年の歩み主要活動概要(1948~2002)
D.当協会55年略年譜