「FUKUOKA UNESCO」40号
2004年12月31日
「FUKUOKA UNESCO」40号 2004年刊行 B5版131頁 1,300円(送料込)
- 〈特集1〉 第13回日本研究国際セミナー2003
「国民文学を考える ― 『宮本武蔵』と『竜馬がゆく』 ―」
- 〈特集2〉(1) 福岡ユネスコ文化講演会
「邪馬台国と九州」
- (2) 国際事情研究会
「東アジアにおける国際動向をどう見るか」
〈特集1〉 第13回日本研究国際セミナー2003
第1部 テーマ “吉川文学に見る『宮本武蔵』”
基調講演
「国民文学と非国民文学」 鶴見俊輔氏(哲学者)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| 竹内 好の視点を通して |
| 武田清子の『吉川英治論』 |
| 竹内 好と丸山真男との違い |
| 吉川英治の『武蔵』とは |
「個人主義時代の『宮本武蔵』」 劉 岸偉氏(中国/東京工業大学教授)
| 〈内容紹介〉 |
| 1.世代論から見た吉川英治 |
| 2.『宮本武蔵』のテーマ |
| 3.『宮本武蔵』と日本文化論 |
|
一口人物評 |
|
文化の型と武士道 |
| 4.武侠小説家金庸との比較 |
第1部討議
コメント:ツベタナ・クリステワ氏(ブルガリア/国際基督教大学教授)
| 〈コメントの内容紹介〉 |
| 「国民文学とは何か」を考える |
| ブルガリアの国民作家イワン・ワゾフ |
| 『武蔵』についてのアンケートから |
| お通と朱実について思う |
| 〈討議の内容紹介〉 |
| 私の恩人としての武蔵 |
| 『武蔵』がバイブルに |
コメント:中村青史氏(元熊本大学教授)
| 〈コメントの内容紹介〉 |
| 武蔵終焉の地・熊本からの所感 |
討議
| 〈討議の内容紹介〉 |
| 中国 ― 文学者の所感 |
| ― 画家の武蔵の絵 所感 |
第2部 テーマ “司馬文学に見る『竜馬がゆく』”
基調講演
「国民文学としての『竜馬がゆく』」
中村 稔氏(㈶日本近代文学館理事長、司馬遼太郎記念財団理事)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| 『竜馬がゆく』に登場する女性たち |
| 明治維新の非情さ |
| 吉川の『武蔵』と司馬の『竜馬』の違いの面白さ |
「歴史とロマンスとの間の竜馬」 ロマノ・ヴルピッタ氏(イタリア/京都産業大学教授)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| 国民文学を考える |
| 講談師的な側面 |
| 三つの時間軸を柱に |
| 司馬の歴史観 |
| 竜馬の人間像 |
第2部討議
コメント:アイリーン・カトウ氏(アイルランド/翻訳家)
| 〈内容紹介〉 |
| 司馬さんの『竜馬』を思う |
| (レジュメ) |
司馬文学に見る竜馬像 |
|
司馬文学への正当な評価を |
|
司馬の想像力 |
|
藩を越える者として |
コメント:スヴェン・サーラー氏(ドイツ/ドイツ日本研究所研究員)
| 〈内容紹介〉 |
| 司馬の歴史小説所感 |
| 歴史小説と歴史学の差異は |
| (レジュメ) |
司馬遼太郎、坂本龍馬、そして歴史学の現状 |
|
日本人の歴史観への影響 |
|
歴史学と文学の結合の危険性 |
コメント:林 容澤氏(韓国/仁荷大学校副教授)
| 〈内容紹介〉 |
| はじめに |
| (レジュメ) |
韓国における司馬遼太郎 |
|
司馬式の歴史記述方法 |
|
日本主義のエトスなる司馬史観 |
|
国民作家としての司馬像 |
|
むすびに ― 『坂の上の雲』再考 ― |
総括討議 テーマ “吉川・司馬文学に見る国民文学的要素”
コメント:ジャニン・バイチマン氏(米国/大東文化大学教授)
| 〈総括討議の内容紹介〉 |
| 歴史学と国民文学との整理の必要性 |
| 外国語に訳せない国民文学 |
| 司馬さんの小説作法 |
| 文学の面白さ、魅力とは… |
| 独創性とは |
| 国民文学再考 |
| 漱石の文学論とは |
| 日本人は何を失ったのか |
| 国民文学=歴史的文学という捉え方の間違い |
| 純文学と大衆文学の区別の無意味さ |
| 文学に於ける「縦」、「横」の関係とは |
| お通について |
| 文学における目標と到達点について |
〈特集2〉
(1)福岡ユネスコ文化講演会
「邪馬台国と九州」 平野邦雄氏(東京女子大学名誉教授)
(2)国際事情研究会
「東アジアにおける国際動向をどう見るか」
ヴィーラント・ワグナー氏(ドイツ/『シュピーゲル』誌東アジア特派員、Dr.)
| 〈内容紹介〉 |
| 1.はじめに |
| 2.中国の台頭 |
| 3.日韓関係 |
| 4.顔のない外交、そして「何でも自衛隊」 |
| 5.北朝鮮崩壊 ― 戦略もビジョンも備えもない |
| 6.北東アジア・日本とロシア |
| 7.終わり 「一億人のアウトサイダーたち」 |