「森鷗外とドイツ文学」(美留町義雄氏講演会)を終えて
北九州市で開催する福岡ユネスコ文化講演会は、2016年から翻訳文学についてシリーズ化して毎年開催しています.今年度はドイツ文学をテーマとし、北九州に軍医として勤務した経験をもつ、明治時代の文豪の一人森鷗外の翻訳文学について講演をしていただきました。
講師は、現在大東文化大学教授の美留町義雄(びるまち・よしお)さんにお願いしました。美留町さんのご専門は日独比較文学・文化研究で、森鷗外記念会常任理事も務めておられ、2017年にはNHKのラジオ講座で「鷗外の見たドイツ」の講師を受け持たれました。今回の講演のタイトルは「森鷗外とドイツ文学——読書、創作、そして翻訳」でした。
ドイツにおける鷗外の読書体験
まず、1884年~88年にかけて軍医としてドイツに留学した鷗外の読書体験について、鷗外の『独逸日記』の記述を紹介しながら、ゲーテなどドイツの作家以外にもギリシャの劇作家ソフォクレスやオイリピデス、アイスキュロスの伝記、フランス人作家の小説やダンテの『神曲』など様々な文学をドイツ語翻訳により読んでいた様子が紹介されました。
鷗外が読んでいた作家の中にドイツ人作家が少ないのは、1832年にゲーテが没して以降ドイツ文学がしばらく停滞期を迎えており、鷗外が滞在していた時期と重なっていたというドイツの文学状況のためです。
同時代のドイツ文学者の中で鷗外が特に関心を持った作家は、アルトゥール・シュニッツラーという、同年齢で医師の家系をもつ作家でした。この世紀末ウィーンの作家の作品では、『みれん』(原題は『死』)、『恋愛三昧』など7作品を翻訳していますが、その日本題名をつけるに際しても意味だけではなく原題の音韻にもこだわった鷗外の苦心ぶりについて、原文のドイツ語の文法や音韻の解説を加えて詳しく説明されました。
鷗外と翻訳
鷗外が翻訳で活躍していた明治期には、まだ漢文や文語文が多く使われており、また、現在のように外国語や外国文学を研究する人が少なくて、研究者が文学作品を日本語へ翻訳することが稀であったために、原文に即した翻訳というより内容を日本人に分からせるために、大胆な言葉選びや原文を省略した翻訳が可能であったということでした。また、文芸作品や詩は一般的に朗読されることが多く、黙読よりも音読が優位であったために、翻訳に際しても音の響きや滑らかさが重視されていたということでした。
以上のような鷗外の翻訳の考え方については、自身のエッセイ『翻訳に就いて』(1914年)から「小説脚本の翻訳は博言学的研究とは違う。一字一字に訳して、それを配列したからといって、それで能事畢(おわ)るというわけではない。…」を引用されて、翻訳に際して原文に付加したり省略したりの操作を加えて、読者により分かりやすくするために工夫することが大事だとする鷗外の翻訳観を紹介されました。
最後に、鷗外は、明治時代の日本が東洋の文化と西洋の文化が渦を巻いている状態の中にあり、どちらかの文化に偏る一本足の学者になるのではなく、二つの文化を一本ずつの足で踏まえ立つ二本足の学者になる必要性があることを説き、鷗外自身が文化の翻訳者であったことを伝えて講演を終えられました。
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