「言葉は世界を変えられるか」(中島岳志氏、國分功一郎氏の講演と対話) を終えて
2020年の春から猛威を振るい始めたコロナウイルス感染の世界的な拡大により、人々の広範な移動や多数の人が集まることが制限され、それにより対面による直接的なコミュニケーションの機会は縮小を余儀なくされてきました。そのように一方では閉塞的になった時間が経過する中で、ロシアによるウクライナ侵攻や中東での民族紛争のような世界的な戦争に発展しかねない事件が起きたこの激動の3年。この文化セミナー「言葉は世界を変えられるか——ポストコロナと紛争の現代に考えること」では、今の時代の動きを振り返り、われわれは世界をどのように理解したらよいのかを「言葉」をキーワードとして見つめ直してみることにしました。
講師には、南アジア地域研究、日本思想史を専門とする東京工業大学教授の中島岳志さんと、哲学・現代思想を研究する東京大学大学院教授の國分功一郎さんの二人をお招きして、短い講演と対話を繰り返す形式で問題を掘り下げていただきました。
「自己責任」と「利他」:中島岳志氏
最初に中島岳志さんは、「自己責任」と「利他」について二つの対照的な事件を例にお話をされました。
ひとつはイラク戦争の際、渡航中止勧告が出ているにもかかわらずイラクに入国した日本のジャーナリストやボランティアがゲリラに拘束された事件で、彼らは帰国した後、「自己責任」として酷くバッシングされました。
もうひとつはタイでの洞窟事故です。少年サッカーチームのメンバーとコーチが肝試しで洞窟に入ったところ、雨による増水で閉じ込められてしまいました。救出活動は難航し、多くの時間がかかる中、救助隊の潜水夫が死亡したほか、周辺の畑が被害を受ける心配がある中で多量の排水作業が必要となりました。しかし、この事故の発端となった若いコーチに対して、タイの人々は一切バッシングを行いませんでした。
中島さんは、この二つの事例における人々の反応の違いの原因に注目すると、今の日本人が囚われている、ある強い固定的な人間観が問題として浮かび上がってくる、として話を始められました。
日本の哲学者九鬼周造が『偶然の問題』で扱った、人間存在の被贈与性についての考え方などを示しながら「意思」「選択」「責任」がセットになった自己責任論の限界を指摘されました。
ヒンディー語の「与格」について
中島さんはその後、インドのヒンディー語で使われる主格(~は)と与格(~に)という文法の使われ方の違いを紹介されました。日本語で「私は<主格>嬉しい」という内容を、ヒンディー語では「私に<与格>嬉しさが留まっている」というように、行為が意思の外部に規定されて意思を超えた世界を表現する場合には、与格を使って表現されるということです。このように言語の違いによって考え方の枠が違うなど言葉に即したお話も展開されました。
現代政治と言葉の危機:國分功一郎氏
國分功一郎さんは、現在の日本の社会における「言葉の破壊」という現象からお話を始められ、その具体例として、安倍元首相の「さくらを見る会」に関する国会答弁を取り上げました。地元有権者に観光ツアーへの参加を募る文書を配布した件について、安倍元首相は「私は幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と答弁しました。このように、言葉の意味を恣意的に解釈し、歪めていく現象が政治の場でも起きており、人間を世界につなぎとめる役目を持つ「言葉」の軽視がコロナ禍の中で進んでいたことを紹介されました。
責任という概念と「中動態」
國分さんもまた「責任」という問題についてふれ、現代では「責任」が単に「誰のせいか」を追及することにすり替わっていると指摘されました。本来、責任とは「負わせたり、負わされたりするもの」ではなく、「自ら引き受けるもの」という応答の側面を持っているはずだと強調されました。
國分さんは、責任を表現する言葉の使われ方の変化として、かつてのインド=ヨーロッパ語の中には「~する」と「~される」という能動態と受動態の対立はなかった、かつては能動態(動作が主語の外で終わる)と中動態(動作が主語の内に留まる)の対立だったものが時代とともに能動態と受動態の対立に移行して来たことを紹介されました。
上記はその一例ですが、私たちが現在直面している問題に政治、哲学だけではなく言語学、文化人類学など異なる視点から光を当てて、私たちが生きているこの世界をどのように理解して、どのように立ち向かっていくのかということについて、二人の思想家が対話という方法を通して具体的に分かり易く示された3時間でした。
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