「多文化共生とコミュニケーション・外国人との共生がコミュニティを豊かにする」を終えて
「多文化共生とコミュニケーション」という連続テーマで2020年度から開催してきた福岡ユネスコ文化セミナーの最終回は、「外国人との共生がコミュニティを豊かにする」というサブテーマのもと講師3人によるシンポジウム形式で行いました。コーディネーターは昨年のセミナーで講師を務めていただいたオチャンテ・村井・ロサ・メルセデスさん(桃山学院教育大学人間教育学部准教授)で、二人の講師に自分の体験や考えを発表していただきました。
発表1:カンチャ・ラマ氏
最初の発表者は現在唐津市で農業経営を行っているネパール出身のカンチャ・ラマさん。ラマさんは来日して14年になり、ハウスと露地栽培でフルーツトマト、野菜、果樹を生産しています。ネパールではシェルパ族出身であるため登山の手伝いを6年間ぐらい務め、日本に来て大学で経営学を学びました。卒業後に祖国でも興味を持っていた農業を始め、結婚した妻の故郷唐津で独学により農業に取り組んできた体験を、以前弁論大会に出場した時の録画映像なども見せながら語りました。
コミュニティの周囲の人たちと親しくなるために飲み会への参加やおやじギャグを話すなど並々ならぬ努力を重ねた様子をユーモアを交えて話してくれました。日本で生活して行くには日本語の勉強が最も大事で、コミュニケーションのためにと「日本経済新聞」を読めるようになることを目標に難しい日本語を4年間ぐらい一生懸命勉強したそうです。
食料を外国に依存している日本の現状を見て、国民生活の安心感を生み出すために農産物の確保が大切で、農業が日本に再生することを夢見ていると将来を語りました。最初は農業を商売と考えていたが、大変な苦労を要する仕事で好きでないとやれないし、未来に祖先の知恵を継承する等の意義を見出さないとやっていけないと感じている。すべてのものの値段が高騰しているのに農産物は売価が安く、非常に難しい経営のなかで生活しているのが現状ということでした。
発表2:新居みどり氏
二人目の発表は、東京のNPO法人国際活動市民中心(CINGA・シンガ)でコーディネーターを務めている新居(にい)みどりさんでした。自身が青年海外協力隊でルーマニアに、それも民族が入り組んだ地域に派遣された経験があるということでした。その後、イギリスに留学した時に便利なイギリスのクリスマスは経済的に貧しいルーマニアとは違ってとても寂しかった思い出があり、外国で働くという当初の夢から、日系人など1990年代に日本に来て大変厳しい生活をしている外国人を支援することへと思いが変わったということでした。シンガは弁護士や医師などの専門家、それも思いを持った方々がボランタリー的に協力してくれるので、日本国内の外国人に対する支援組織のネットワークをつなげる役目も果たしているとのことでした。
シンガの機能の一つとして、国から受託して外国人の母国語相談を行っており、日本全体300万人の外国人のうち60万人が暮らしている東京で、14言語により相談に対応している。しかし、コロナの相談センターを引き受けた際には日本語での相談が35%という結果が出て、非常時の外国人とのコミュニケーションにおける日本語の重要性が改めて浮き彫りになった。相談を受けるなかで、外国人が日本で暮らすのに、法律の壁、ことばの壁、こころの壁の3つの壁がある。移民を認めていない日本にはアメリカやフランスのように言語保証制度がないため、正式な学習機会がなくて、喋れても読み書きできない人が多い。
仕事としてではなくボタンティアとして地元の三鷹で地域日本語教室に参加しているが、講師と受講者が互いにわかる分野のことを教えあったりしており、市民同士の付き合いという形での日本語教室の存在意義は大変大きいことなどが発表されました。
オチャンテ・村井氏(コーディネーター)を交えての全体討論
後半の討論では、コーディネーターのオチャンテ・村井さんが15歳の時に日本にやって来た自分の経験を短く紹介されて、日系4世での身分により奨学金も受ける資格もあった等有利な面があったこと、日本のステレオタイプな学校像が通ってみたら違っており、中学・高校で日本語をしっかり学ぶことができたことなどを話されました。しかし、父親の同世代のペルー人でフランスやアメリカに行った人は、専門性のある仕事に就いているが日本に来た父は日本語も十分にできないままずっとブルーカラーの労働者であったこと、そしてこれは語学学習の機会が保証されている国とされていない国の違いかもしれないという指摘もされました。その後3人での討論が行われ、主な意見として以下のようなものが出てきました。
・日本語も十分にできない外国人を支援していると、何もできないかのように見てしまい、また相談機関に行っても相談を受ける側が支援者に日本語で尋ねるケースが多く、何でも手助けしてあげないといけないように思えてくる場合がある。しかし、「魚を釣ってあげるのではなく魚の釣り方を教えてあげる」ことが基本で、自立してやっていけることをめざした支援が大事。
・観光農園をめざしているカンチャ・ラマさんが、「ピカピカの観光農園ではなく、ありのままの観光農園をやっていきたい。ピカピカでやると採算が合わなくなって続かなくなる」と発言したように、コミュニティの中で持続してやっていくことを基本にした計画を立てていくことが重要であること。
・新居さんの自己反省を込めた、「外国人支援を声高に叫んでいても、なかなか理解されずに悩んだ時期もあった。しかし、自分自身が地域のことや地域の人を知らなかったという面もあったことに気づいた」こと。また、多言語の相談機関にいて、「コミュニティの中での共通言語(=日本語)が沢山喋れる人が場の中で力を持つようになることを自覚して、日本語がまだ上手でない人の発言を待つことと聞くことを行動で示せると、皆が安心して参加がしやすくなる」等貴重な意見が出されました。
最後にコーディネーターのオチャンテ・村井さんから、ラマさんのこれまでの活動、地元に溶け込もうとした試みは一つのロールモデルになる。外国からきて日本で一生懸命に生きている人がたくさんいることをもっと知ってほしい。また、新居さんのような人が近くにいることによって多文化共生はみんなのために、われわれの将来のためになることが伝わっていく。将来的には日本人に跳ね返ってくることになるものだと締めくくられました。
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