「老いとぼけの自由な世界~介護の先に見えること」を終えて

2025年12月26日

2025年9月27日に電気ビル共創館で福岡ユネスコ講演会「老いとぼけの自由な世界~介護の先に見えること」を開催しました。講師は、福岡市で宅老所よりあいを運営する村瀬孝生氏と九州大学名誉教授の安立清史氏。村瀬氏の講演、安立氏による解説と対談、そして質疑応答という三部構成で、超高齢社会における介護に対する考え方を根本から問い直す講演会となりました。

トメさんとの出会い

村瀬孝生氏/老いとぼけの自由な世界 〜 介護の先に見えること(福岡ユネスコ講演会)

村瀬氏の講演は、91歳で宅老所よりあいに来られたトメさんという一人のお年寄りの生活の様子とその方への介護を通して村瀬氏やよりあいの職員たちが経験したことを中心にお話されました。

「今は認知症と言いますが、ボケを抱えてお年寄りたちが集まるんですね。その集まっているお年寄りたちは、いわゆる認知症の症状として時と場がよく分からない。時間と空間の見当がつかなくなって、記憶がおぼろげになっていますから、今何の会合かよく分からないわけです。集まっては来るものの、なぜこうやってみんなが集まっているのかがちょっとピンとこない。だけど皆さん、それぞれ自分のストーリーを持っています」と話されました。

朝倉出身で明治生まれのトメさんは、若い頃から町内の婦人会長を何期も務め、特に町内の葬式を仕切る役割を担ってきた方だったことがだんだん分ってきます。

村瀬さんは、「その人がどのように生きてきたのか、何を大事にしてきたのかが、過去のものではなく、今生き生きと立ち現れてくる。私たちはそういう経験をさせていただいています」と、介護する職員側が感じたことを述べておられました。

 

病院での拘束から解放へ

トメさんは、よりあいに来る前、転倒して病院に入院していました。腰椎圧迫骨折の疑いがあり、病院は安静を求めましたが、トメさんは痛みを抱えながら歩き回っていたそうです。病院はこれを「徘徊」と判断し、家族の了承を得て拘束したのです。

しかし、息子のお嫁さんは別の見方をしていました。「義母はトイレに行きたかったのではないか。おむつをしているからそこにしていいと言われても、なかなかそうはいかない。病院は広くてトイレの場所が分からず、うろうろしていたのでは」と考えたそうです。

そして、拘束された結果、トメさんは食事を全く取らなくなります。

「92歳まで生きているのに、縛られてまで生きたくないと思ったんじゃないか」と村瀬氏は考え、よりあいでは、痛くてもトイレに行こうとするトメさんを支援する方針を取りました。「明日のために今を我慢するということが、認知症が深まると理解できなくなる。今ここを大事にした方がいいんです」というのが村瀬さんの見解です。

 

よりあいでの再生——自分のペースで

村瀬孝生氏/老いとぼけの自由な世界 〜 介護の先に見えること(福岡ユネスコ講演会)

ヨレヨレの状態でよりあいに来たトメさんでしたが、お年寄りの輪の中に入ると目が輝き、「トメと申します。どうぞよろしく」と挨拶されました。お茶菓子を受け取ると隣のおばあさんに「つまらんものですけどどうぞ」と渡す。その瞬間、村瀬氏は回復の可能性を感じたそうです。

その時のトメさんにおける最大の問題は水分摂取に関するものだったそうです。脱水は命に関わりますが、トメさんは楽飲みで無理に飲ませようとしても舌で拒否する。「人の世話になったら死んだほうがいい」という方だったのです。結局、湯飲みに少しずつ継ぎ足し、本人のペースで飲んでもらうことになったそうです。

そして、食事を本格的に取り始めたのは5日後。隣に座っていた利用者の先輩が、うなぎをつかんでトメさんの口に入れると、トメさんは朝倉の方言で「だっ、食べろー」と掛け声をかけ、それから自分で食べ始め、やがて歩けるようになり、他のお年寄りの世話まで始めるようになったということです。

 

「帰りたい」に付き合う——繰り返しの意味

元気になったトメさんは「帰る」と言い始めました。ここが自分の家ではないと分かってきたからです。「これは願望ではなく当たり前のこと。家に帰ろうとするのは自然なんです」と村瀬氏。

閉じ込めれば認知症は深まります。だから職員は一緒に歩くのだそうで、15分くらいで疲れるだろうと思っていたら、2時間も歩くこともあるそうです。体力の限界が来て暗くなり、「あそこが私の家だ」と指差すものの、やはり違う。お互い途方に暮れて座り込みます。

「僕の顔で泊まれる旅館(よりあいのこと)があるから、そこに行きませんか」と声をかけると、困り果てたトメさんは「あそこに連れて行け」と応じてくれます。翌日になると、昨日のことは覚えていないので、また「さいなら」。この繰り返しに職員は付き合い続けたそうです。

すると、だんだんトメさんの言動が変わってきます。付き合った職員が帰ろうとすると引き止めて、夜勤者に「あの人に食事を出してあげなさい。あの人は気の毒な人よ」と指示を出すようになりました。こうして時間を重ねるうち、やがてトメさんは「帰る」と言わなくなっていきました。「薬漬けにする必要もなく、閉じ込めることによる精神の崩壊もない」と村瀬氏は強調します。

 

忘れることの力——許される関係

トメさんは夜、他の利用者と一緒に寝るのが好きでした。しかし2時間後に飛び起きて「あんた誰なー」。お互い覚えていないので領有権の争いになります。職員が仲裁に入ると収まりますが、翌朝には二人ともその諍いを忘れています。

「覚えていないから助かる。よく見ると、覚えていないから助かる方が人生では大きい」と村瀬氏。職員の行き届かなさをずっと覚えて怒り続ける方のケアは大変だそうですが、「本人に主体はないけれど、結果として許してくれる。そういう不思議な許しの中で、私たち職員も鍛えられていくんです」と総括されました。

 

「ボケてもいい」という革命

安立清史氏/老いとぼけの自由な世界 〜 介護の先に見えること(福岡ユネスコ講演会)

村瀬氏の講演の後に、安立清史氏による解説が続きました。

安立氏は、村瀬氏の実践の意味を学術的に解き明かそうと取り組んで来られ、「村瀬さんの話は面白いけれど、なぜこんな奇跡のようなことができるのか。その謎を解明するのに20年以上かかりました」と。

安立氏が指摘するのは、現代社会が「ボケたらおしまいだ」という価値観に支配されており、新薬開発や介護予防など、世の中が全力で「ボケないように」と言っている。一方、村瀬氏とよりあいは、それを真逆にして「ボケてもいいよ」と大転換しているということです。「これは革命的な価値転換なんです」と。

そして、このような転換を可能にする秘密の一つとして、よりあいの職員同士の申し送りミーティングをあげておられます。新人職員が夜勤で強烈な体験をし、翌朝の申し送りミーティングでそれを先輩職員や他の職員と共有し乗り越える。このプロセスを通じて、普通の人にはできない価値観の転換が起きるというのです。

もう一つの秘密を、村瀬氏自身の親の介護に求めておられます。村瀬氏は7年間の母親の介護で「4回母の頭をはたいた」と告白しています。その葛藤の中で、村瀬氏は「心」と「自意識」を区別するようになりました。「怒っているのは自意識であって心ではない。心は自分が所有するのではなく、母と僕の間に生まれるものなんです」と。

村瀬氏は最後に、仏教の「分別智」と「無分別智」の話を紹介されました。教育によって獲得する言語・概念の世界を「分別智」、生まれた時と老いて帰っていく実感・非言語の世界を「無分別智」と呼び、後者をより上位のもの、悟りの境地とする考え方です。

安立氏はこれを踏まえ、「要介護5で生まれて、要介護5で死んでいく。そこは悟りの境地なんだ」と、村瀬氏の実践を仏教的な観点から位置づけられました。

 

おわりに

老いとぼけの自由な世界 〜 介護の先に見えること(福岡ユネスコ講演会)

両氏の講演を通じて浮かび上がったのは、「ボケてもいい」という価値観の転換がいかに革命的であり、同時にいかに実践的に困難なことであるかということでした。トメさんとの2時間の散歩に繰り返し付き合うこと、忘れることを肯定的に捉えること、「嫌」という意思表示を最大限尊重すること――これらは理解できても、実際に行うには深い覚悟と継続的な実践が必要です。

超高齢社会を迎えた日本で、私たちは「ボケたらおしまいだ」という恐怖から自由になれるのか。村瀬氏の実践とそれを解き明かす安立氏の試みは、その可能性を示してくれる貴重な講演会となりました。

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