米倉斉加年 青木繁を語る

2011年03月12日

米倉斉加年 青木繁を語る

福岡ユネスコ文化講演会を開催しました

2011年3月12日、エルガーラ中ホール(福岡市中央区天神)において上記の講演会を開催しました。

平成23年3月25日は青木繁の没後100年にあたります。
久留米が生んだ画家・青木繁は28歳8か月という短い生涯ではありましたが、国の重要文化財となっている「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」など、日本近代美術史上に残る作品を残しました。

当協会は50年前に、「青木繁没後50年展」を福岡大丸、小倉玉屋、東京の銀座三越で開催しました。
この展覧会はたいへん高評で、大きな反響を呼びました。

戦後まもなく、福岡にまだ今のような美術館がなかった時代に、3年にわたり当協会が開催した「福岡県内所蔵近代美術展」。
これは県内の企業や個人所蔵の近代美術を調査、リストアップして行われたもので、こうした活動のなかから青木繁の未発表作品も発見されました。これが元になって、50年前の「青木繁没後50年作品展」につながりました。

このような経緯から、青木繁没後100年に因み、石橋財団石橋美術館とともにこの講演会を企画開催しました。
講 師 米倉斉加年氏 (俳優、演出家、画家)

米倉さんは、以前、NHKが制作した「炎の海 青木繁-その愛と死-」で自ら青木繁の生涯を演じ、ドキュメンタリーのリポートを務めました。青木繁が残した焼絵の制作にまつわるお話など、その撮影でのエピソードを交えて、非凡な才能を持ちながら若くして亡くなった画家 青木とその作品についてご講演いただきました。
主 催 福岡ユネスコ協会、石橋財団石橋美術館
共 催 NHK福岡放送局

上記の講演会場にて、ご来場の方々に「東北地方太平洋沖地震」に対する義援金を募集し、たくさんの方々から募金をいただきました。ご協力ありがとうございました。
この義援金はNHK、日赤を通じ、被災された方々にお届けいたしました。

2011年2月21日(月) 青木繁と福岡ユネスコ協会

3月12日土曜日。「米倉斉加年 青木繁を語る」― 青木繁 没後100年に因む講演会を開く。
石橋財団石橋美術館と当福岡ユネスコ協会が共同で開催。さらに、NHK福岡放送局との共催となった。

青木繁没後50年の年、1961年(昭和36年)「没後50年青木繁展 ― その知られざる画業 ―」を福岡大丸、小倉玉屋、東京三越で開催、この展覧会は戦後の青木繁ブームを全国的にもたらしたという高い評価を得た。

この展覧会を行うきっかけになったのが、福岡県内所蔵近代美術展であった。
竹藤寛前事務局長の若いころ、創立から10年、昭和33年、福岡ユネスコ協会は文化活動を積極的に進めることになった。その一つが福岡県内に所蔵されている近代美術のリストアップを行い、その作品を県民の皆様にご覧いただこうという企画であった。
このころ、福岡に美術館など文化センターを建設しようという県民運動も高まっていた。
この運動を側面から推進する役目を担ったのが、この県内所蔵近代美術展で、3ヵ年にわたって開催し、ご高評をいただいた。

この美術展のもう一つの成果は、これがきっかけとなって青木繁の未公開作品が多数発見され、「没後50年展」へと展開したことだった。
さらに竹藤寛がご遺族からお預かりした書簡などをもとに『青木繁・坂本繁二郎とその友』を上梓いたし、高い評価をいただいた。

あれから50年、今年3月25日は青木繁没後100年となる。石橋美術館の森山学芸課長とお話をするうち、石橋美術館もまた青木繁没後100年の作品展を企画、そのプレイベントとして講演会を企画中であることを知り、共同主催へとなった。

米倉斉加年氏(福岡出身、俳優・演出家・画家)に講演をお願いしたところ、ご快諾をいただいた。
一つ条件をいただいた。「昭和53年(1978年)、NHK特集で『炎の海~青木繁の愛と死~』の中で自分は青木繁に扮し、また、青木が生きた時代がどのような時代だったかをリポートした。青木繁は油絵具を買うお金にも困り、海岸に杉の板戸を持ち出し、焚き火で焼いた舟釘で絵を描いた…。あのシーンをみなさんに見ていただきたい。
ところが、どういうわけか、一度も会場でビデオをみなさんに見ていただくことができない!何とか方法はありませんか?」

3月12日、エルガーラ中ホール会場で、NHK特集の若き日の米倉斉加年氏の姿を一部であるがご覧いただく。
皆さまのご参加をお待ちします。
(*枠内は旧サイト「福岡ユネスコ丸航海誌」に掲載していた文章です.)

越境するアジアの現代文化 —現状と可能性—

2010年11月27日

「福岡国際文化シンポジウム2010」を開催しました (2010年11月27日 於・天神ビル11F 10号ホール)

人やモノが激しく移動する世界の中で、アジアにおいても活発に国境を超えた文化が行き来しています。日本でもアジア各国から映画や音楽が流入し、「韓流」や「華流」と呼ばれるブームも巻き起こりました。また日本から発信するファッションやマンガ、音楽などのサブカルチャーが、村上春樹を筆頭にした文学がアジアにも広く伝播しています。
互いに越境するアジアの現代文化の現在と未来、そしてアジアとの交流を進める福岡の可能性を探りました。

講 師
○基調講演・議長 
四方田犬彦氏(映画史家、明治学院大学教授)
「怪奇映画の咲き誇る地帯としての東アジア」

○発表
〈文学〉プラープダー・ユン氏(タイ/作家、脚本家)
〈文学〉メアリー・ウォン氏(香港/嶺南大学講師)
〈映画〉チョン・スワン氏(韓国/東国大学映像大学院助教授)
〈美術〉後小路雅弘氏(九州大学大学院教授)

松本清張と邪馬台国―古代の九州、そして北九州―

2010年10月08日

松本清張と邪馬台国

北九州ユネスコ文化講演会を開催しました。

2010年10月8日(金)、北九州市立松本清張記念館にて北九州ユネスコ文化講演会を開催しました。
会場いっぱいの聴講者においでいただき、“邪馬台国”の魅力をあらためて感じました。

高島忠平氏は、吉野ヶ里遺跡を発掘した考古学者です。
平成元年、松本清張氏とともに吉野ヶ里発掘現場を歩きました。

松本清張氏が論じた“邪馬台国”を振り返りながら、高島氏が研究してこられた“邪馬台国九州説”についてお話いただきました。

講師:考古学者・旭学園理事長 高島 忠平(たかしま ちゅうへい)氏
〔プロフィール〕
1939年飯塚市生まれ。
1989年~吉野ヶ里遺跡の発掘調査、保存整備の計画・指揮をとる。
邪馬台国九州説派。
松本清張さんは、邪馬台国九州説の立場をとっていた。著書やシンポジウムでは、「魏志倭人伝」・「日本書紀」など歴史書、考古学資料などを深く読みとるとともに、そして、得意の推理を駆使して邪馬台国を論じていた。しかし、最後まで、九州の何処かは特定することはなかった。また、多くの考古学者・歴史家と交流し、そこで自分の忌憚のない意見をぶつけ、批判を請うた。その考古学の研究者の一人であった私と清張さんとの邪馬台国をめぐる対話と、私ながらの邪馬台国論を紹介する。(高島忠平)

主催 北九州市・福岡ユネスコ協会

現代社会はどこに向かうか ―生きるリアリティーの崩壊と再生―

2010年08月28日

見田宗介講演会

福岡ユネスコ文化講演会を開催しました。

現代青年の「未来の喪失」、生きるリアリティーの飢え、価値意識の変容は、現代のどのような転回を告知しているか。
人間の歴史の中で「「現代」とはどういう時代か。現代社会はどこに向かうか。
新しい時代の希望と、生きることのリアリティーと価値はどこに見いだすことができるか。

8月28日(土)14時~17時、福岡市立中央市民センターのホールにて、長く個人と共同体の関係を研究してこられた社会学者 見田宗介氏にご講演いただきました。

ご講演のあとは福岡賢正氏と対話形式での質疑応答も行なわれました。
会場の皆さんから多くの質問が寄せられ、関心の高さがうかがわれる講演会でした。

テーマ:「現代社会はどこに向かうか ― 生きるリアリティーの崩壊と再生 ―」
講演者:見田(みた)宗介(むねすけ)氏 (社会学者、東京大学名誉教授)

1937年東京都生まれ。専攻は比較社会学、現代社会論。
〈著書紹介〉 『現代社会の理論 ― 情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書)
『社会学入門 ― 人間と社会の未来』(岩波新書)
『宮沢賢治~存在の祭りの中へ』(岩波現代文庫)
『まなざしの地獄 ― 尽きなく生きることの社会学』(河出書房新書)

筆名:真木悠介としての著書
『時間の比較社会学』(岩波現代文庫)
『自我の起源 ― 愛とエゴイズムの動物社会学』(岩波現代文庫)
『気流の鳴る音~交響するコミューン』(ちくま学芸文庫)

ほか著書多数

いま、アジアをどう語るか ―現代化と歴史認識のはざまで―

2009年12月12日

福岡国際シンポジウム2009

「福岡国際文化シンポジウム2009」を開催しました。
(於:アクロス福岡 国際会議場)

2009年12月12日、福岡市中央区天神のアクロス福岡「国際会議場」でシンポジウムを開催しました。
多くのお客様にご参会いただき、盛会裡に終了しました。
このシンポジウムの記録は会誌「FUKUOKA UNESCO」46号に掲載しています。

日本の近代化において、アジアはさまざまな意味で欲望と希望の対象であり、自らを映す鏡であり、躓きの石であり続けた。アジアを考えることは日本の近代を問い直すことでもあるという竹内好の言葉を思い起こす。
今日、アジア諸国は現代世界の巨大な転換を担う主体へと成長した。
そんな中で上記のような関係はなお有効なのだろうか。
それとも、日本からアジアを問うという行為は、もはや意味を持たないのだろうか。
つまり、現代化の波の中で〈方法としてのアジア〉は終わったのか?
このシンポジウムは、それらの問いを通して、いま、アジアを語る文脈はどのように再構築されるべきかをさぐろうとするものである。

テーマ 「いま、アジアをどう語るか ― 現代化と歴史認識のはざまで―」
講演者〈議長〉 有馬 学 氏(九州大学名誉教授)
〈基調講演〉 松本健一 氏(麗澤大学教授、歴史家、評論家)
演題:「欧米とアジアの間―日本の近代」
中島岳志 氏(北海道大学准教授)
演題:「アジア主義を問い直す ― 支配と連帯のあいだ」
〈発表〉
劉 傑 氏(早稲田大学教授)
演題:「アジア現代化の課題 ― 地域内外の和解と歴史認識」
李成市 氏(早稲田大学教授)
演題:「なぜ今“東アジア史”なのか」

2009年12月24日(木) 過去と現在を結ぶ糸 -福岡国際文化シンポジウム2009-

12月12日(土)、福岡国際文化シンポジウム2009は6時間に及ぶ発表と討議を行った。
一般参加者137人。アクロス国際会議場。

議長は九州大学名誉教授、有馬学氏。基調講演は評論家、麗澤大学教授 松本健一氏と北海道大学准教授 中島岳志氏。午後は問題提起を早稲田大学社会科学総合学術院教授、劉傑氏(中国)と早稲田大学文学学術院教授、ソウル成均館大学招聘教授 李成市氏(韓国)が行い、若い3人の日本研究者、国際交流基金招聘フェロー、ストックホルム大学のカール・グスタフソン氏(スウェーデン)、同じく国際交流基金招聘フェローでニューヨーク市立大学のラン・ツヴァイゲンバーグ氏(イスラエル)、九州大学非常勤講師 徐涛氏(中国)が加わり討議を行った。

午前の部は有馬学氏が今回の「いま、アジアをどう語るか」というテーマ設定をどのような経緯で行ったか、いま改めてアジアを考えるときに来ているのでは―とのコメントにはじまった。

基調講演はまず、松本健一氏が「欧米とアジアの狭間 ―日本の近代」と題して講演。1864年元治元年に日本で模写印刷された世界地図に見られる太平洋と大西洋を当時の人々がどのように見たかという論考からはじまり、明治の文明開化がどのような内容であったか、アジア主義、北一輝問題など日本の歩んだ道を検証し、「アジアにおける“共生”という理念の大事さ」を述べた。

続いて中島岳志氏が「アジア主義を問い直す―支配と連帯のあいだ」と題して講演。日本のナショナリズム、自由民権運動、アジア主義の“心情と思想が”政略にまきこまれていった過程を詳細に見つめ、「重要なのは心情と思想をどう繋げていくか、イデオロギーを超えた思想にどう昇華するか!」と語った。

午後の部で、中国・劉傑氏は「アジア現代化の課題―地域内外の和解と歴史認識」で、中国がいま中国的和諧をめざしていること、アジアを語るには日本という国境を一歩外に出て語ることの重要性を指摘した。

韓国・李成市氏はいま韓国では東アジア論が大きく変化をしていること、東アジアが抱えている問題が日本という一人称ではなく、二人称で語られることの重要性を述べた。
(※ シンポジウムの記録は来年夏刊行予定の当福岡ユネスコ協会会誌2010年に所載)

ところで、このシンポジウムで、はからずも昭和46年(1971年)当福岡ユネスコ協会が主催した第1回日本研究国際セミナー「アジアにおける日本」での竹内好氏らの論考が、日本研究者の方々にひとつの刺激を与えたことを中島岳志氏、松本健一氏が述べられた。

(1971年7月14日~15日、福岡市国際会議場に海外から8カ国19人、国内30人の講師を集めてのセミナー。Bセッションで「国権派のアジア観とその歩み」で西尾陽太郎氏が発表を行った。また、Cセッション「北一輝の支那革命外史―日中関係の一考察
―」と続くシンポジウムで竹内好氏、石田雄氏、橋川文三氏らが討議を行った。会議録は当福岡ユネスコ協会第7号 1972年所載)

中島岳志氏は基調講演の中で、さらに松本健一氏はシンポジウム終了後、懇親パーティーの席で、自分も影響を受けた者だと述べられた。

また、議長としてコーディネーターを務めていただいた九州大学名誉教授の有馬学氏は、このセミナーの講師で当時、九州大学教授 西尾陽太郎氏の論文に触発され、九州大学へ来たことを述べられた。

(西尾陽太郎氏の「九州における近代の思想状況―国権論の展開、中国辛亥革命と九州人士 ―」は平凡社刊『九州文化論集』(四)1972年に所載)

私は前任の事務局長 竹藤寛さんにそのことを電話でお伝えした。竹藤さんはたいへんお元気そうで、「あなたが播いた種はこんな形で稔っていますヨ!」と、お伝えすると「そうか!そうか!」と実に嬉しそうに大きな声で笑われた。

鶴見俊輔氏(2007年、2008年のセミナー「日本の文化と心」で基調講演を行った)は今回のシンポジウムに「さらなる発展を期待して」と題するメッセージを当協会へ寄稿していただいた。その中の一節。

「これからは、アジア、イスラム諸国、太平洋諸島も視野に入れてほしい。私にとって福岡ユネスコ協会はここに行ったことがよかったと思う会です。この会の独特の場が日本の中のひとつの世界として続くことを願っています。
もうひとつ、この会の活動を通して日本の現代史の中にある明治以前と明治以後の断絶を越える糸口ができるのではないかと思います。(2009年11月1日)」

当協会が連綿と続けるセミナーやシンポジウム、今回そこに、過去-現在を結ぶ糸を確認することができたことは、まことに嬉しいことであった。
(*枠内は旧サイト「福岡ユネスコ丸航海誌」に掲載していた文章です.)

水と緑の国 日本

2009年10月16日

「福岡ユネスコ文化講演会」を開催しました。
(於:都久志会館)

 「水と緑の国 日本 ― 地球環境問題と日本の農林水産業の役割 ―」 
 講師:評論家 富山和子氏

2009年10月16日(金) 14時~16時 
富山和子氏は、日本の環境問題、水問題について訴えてこられました。
今回の講演会では日本の田んぼを見直すこと、日本のコメ文化の大切さを語られました。
富山氏の朗読と詩と音楽による映像詩「日本の米カレンダー」を通して
貴重な日本の原風景にも触れることができました。

福岡ユネスコ協会60年の歩み展

2008年12月09日

福岡ユネスコ協会60年の歩み・12月

「福岡ユネスコ協会60年の歩み展」を開催しました(NHK福岡放送局・NHKギャラリー)

戦後すぐからはじめられた福岡ユネスコ協会の活動には多くの方々が関わり、手作りの文化活動がつくり上げられてきました。
60年の活動を振り返り、2008年12月9日(火)~14日(日)の期間、NHKギャラリーで当協会のことをご覧いただく機会をつくりました。
TV福岡ローカル「ぐるっと九州」でも紹介されました。
福岡ユネスコ協会はこれからも福岡の地で国際交流と地域文化活動を続けてまいります。

続・日本の文化と心 -日本語を基座として-

2008年10月24日

続・日本の文化と心

「福岡国際文化セミナー」を開催しました。

2008年10月24日(金)10時~17時30分まで、福岡市中央区の天神ビル11階「10号ホール」にて開催しました。
2007年度セミナーのテーマ「日本の文化と心」では、哲学者の鶴見俊輔氏と万葉学者の中西 進氏による二つの基調講演を中心に、日本の社会思想から文学、美術にわたる広いジャンルを対象に、テーマを多面的に照射し、会場の聴講者も交えた熱のこもった質疑応答が行われました。
今年度の「セミナー2008」は同テーマ「日本の文化と心」をもう一歩掘り下げてみたい、という昨年ご参加いただいた先生方からの声を受け、
特に日本語に焦点をあてて先生方に語っていただき、なお議論を深める試みが行われました。
基調講演は昨年に引き続き、哲学者の鶴見俊輔 氏にお話しいただきました。  
テーマ

「続・日本の文化と心」 ~日本語を基座として~
講師 基調講演
(午前の部)鶴見俊輔氏
(哲学者)演題:さかのぼる力
討議
(午後の部)

討議の最後に鶴見氏による総括を行います
(議長)清水孝純氏(九州大学名誉教授、比較文学)     
ツベタナ・クリステワ氏〈ブルガリア〉(国際基督教大学教授、日本古典文学)発表:「言文不一致」の日本語の表現力
川本皓嗣氏(大手前大学学長、比較文学)発表:「打鉄匠歌」から「墳上感懐の詩」まで―詩的文体の伝統と近代
アレクサンドル・ドーリン氏〈ロシア〉(国際教養大学教授、日本近現代詩歌史)発表:日本近代詩における国際文化の理想
ヒンターエーダー=エムデ・フランツ氏〈ドイツ〉(山口大学教授、日独比較文学)発表:失われたこころを求めて―近代人漱石の悩み―
合山 究(ごうやま きわむ)氏(九州大学名誉教授、中国古典文学)発表:『源氏物語』と『紅楼夢』

福岡ユネスコ協会60年の歩み

「福岡ユネスコ協会 60年の歩み」展示 (於:セミナー会場)
当協会の60年を振り返り、活動記録の一端をパネルと年表にしてセミナー2008会場内でご覧頂きました。

21世紀中国の文化構想 —和合学がめざすもの—

2008年01月31日

第13回国際事情研究会

2008年1月31日、福岡市の天神ビルにて、2時間にわたり上記研究会を行いました。
今回は、「21世紀中国の文化構想 ~和合学がめざすもの~」というテーマで難波征男氏(福岡女学院大学教授)にご講演いただきました。

「和合学」は孔子、孟子の儒教や朱子学、陽明学など東洋思想に新しい光を当て、これからの時代にふさわしい智慧を求めようとする新しい潮流。
そのご講演内容を難波先生のレジュメの一部でご紹介します。くわしくは、次回発行の会誌『FUKUOKA UNESCO』44号に掲載いたします。

…孔子は「泛(ひろ)く衆を愛す」といい、墨子は「兼ねて相い愛す」という。
『礼記』 礼運は「人独りその緯を親とするのみならず、独りその子をその子とするのみならず」という。
張載は「民は吾が同胞、物は吾が与なり」という。
こうした儒家の「民を仁し物を愛す」という精神は、自然・社会・他人・他人の精神・他の文明に愛心(思いやり)を与えるものであり、和生・和処・和立・和達を愛心の指導下で、実施し施行させるものである。
世界の異文明の間には、価値観念・宗教信仰・文化背景・思考方式・倫理道徳・風俗習慣などの色々な違いがあるが、一方で人類が直面している衝突と危機は共通のものだ。
それには国境・民族・人種の区別はなく、砂塵が海を越え、温室効果が温暖化をもたらすように、その影響は全地球的なものであり、人は等しく逃れることができないのだ。
これこそ文明対話の共通の基礎である。この共通の基礎があり、異なる文明の間で同じか、あるいは似たような目標を追求すれば、最低限度の共通認識は得られる。
たとえ共通認識に各自の解釈があっても、人類がともに直面している五つの衝突と危機(※)を解消したいという願望は同じであろう。…

※五大危機 - 生態的危機(人と自然の間)、社会的危機(人と社会)、道徳的危機(人と人)、精神的危機(こころ)、価値観的危機(異文明の間)

○張立文氏
 「和合学」提唱者(1935年、中国浙江省温州) 『和合学概論-21世紀文化戦略構想』上下(96年12月首都師範大学出版社) 
 中国人民大学教授、中国人民大学孔子研究院院長

○難波征男(なんばゆきお)氏
 1945年生まれ、岡田武彦氏(九州大学名誉教授)、荒木見悟氏(九州大学名誉教授)に師事。
 「身は父母の遺(伝子の和合)体」などの著書。国連ユネスコの会議、京都フォーラムに参加している。

鷗外のドイツ滞在に学ぶ

2007年11月09日

「創立60周年記念文化講演会」(開催地:北九州)のご報告(共催:北九州市)

2007年11月9日、“鷗外のドイツ滞在に学ぶ”をテーマに、北九州市立松本清張記念館にて開催しました。

九州大学名誉教授 清水孝純氏による鷗外の独逸留学についてのご講演でした。
鷗外はどのような思いで留学したのか、ドイツでの留学生活で何を得ようとしたのか…
『独逸日記』を中心として、?外を取り巻くさまざまなエピソードをまじえながら、当時の留学の意義をお話くださいました。
このご講演内容は次回刊行する会誌『FUKUOKA UNESCO』44号に特集記事として掲載いたします。

鴎外のドイツ滞在に学ぶ

〈講師紹介〉 清水孝純 氏 
1930年東京生まれ。東京大学大学院比較文学比較文化博士課程を修了後、日本大学講師を経て、九州大学教養部助教授、同教授。1992年九州大学退職後、福岡大学教授。2000年同大学を定年退職。現在、九州大学名誉教授。
専攻は日本近代文学研究を核とした日本と西洋との比較研究。
小林秀雄研究から、夏目漱石研究を経て、ドストエフスキイの研究に進む。
『ドストエフスキイ・ノート』で第一回池田健太郎賞、『笑いのユートピア―「吾輩は猫である」の世界』で第11回やまなし文学賞を受賞。
森鷗外については『小倉日記』『独逸日記』を中心に研究を進めている。

日本の文化と心

2007年10月12日

日本の文化と心

10月12日10時~17時、福岡市の天神ビルにて上記セミナーを開催いたしました。
このたびのセミナーでは“日本の文化と心”をテーマとして、6人の方々にそれぞれのご専門の分野から自由なご意見の発表と、その後の討議を行っていただきました。
午後の討議では、会場に集った一般の方々からのご質問も加わり、講師、発表者の方々と会場が一体となる熱のこもった討論が続きました。
最後に、鶴見俊輔氏、中西進氏による総括で、このセミナーをしめくくりました。

今回のセミナーは、次の方々にご講演、ご発表をいただきました。
講演者 鶴見俊輔氏 哲学者 日本文化の現在
講演者 中西 進氏 奈良県立万葉文化館館長 しなやかな日本知
議 長 清水孝純氏 九州大学名誉教授       
発表者 Tzvetana Kristeva氏 国際基督教大学教授 心のしるし-古代日本文学における「心」の意味を問うて
発表者 Christopher Szpilman氏 九州産業大学教授 「革新右翼」満川亀太郎と人種差別との戦い
発表者 劉 岸偉氏 東京工業大学教授 「日本の文化と心」を考えるヒント-新渡戸稲造から南原繁へ
発表者 稲賀繁美氏 国際日本文化研究センター教授 お稽古ごとの海外文化交流:武術の場合を中心に

このセミナーの内容は、次回刊行する会誌『FUKUOKA UNESCO』44号に特集記事として掲載いたします。

2008年1月16日(水) “The Defences of Peace”は“平和のとりで(砦)”か?

10月12日、当協会創立60年記念国際文化セミナーは「日本の文化と心」をテーマに鶴見俊輔氏、中西進氏の講演、稲賀繁美氏、クリストファー・スピルマン氏、ツベタナ・クリステワ氏、劉岸偉氏による発表と討論を行った。

このセミナーで発表された国際日本文化センター教授、稲賀繁美氏は「お稽古ごとの海外文化交流:武術の場合を中心に」という発表のなかで、次のような発言があった。

「…(前略)ひとつだけここで言いたいのは、競争原理にのっとってどちらが優れているか,どちらが勝つかという形の武道・武術であるならば、これは国際貢献として海外に広めるのにそんなに大きな意義はないと私は思います。
むしろ最初に言いました「矛を止める」というこの技術を世界に広めていく。そのために武術が使われるのであれば、そのほうがよほど大きな意味を持つだろう。世界中がたとえば市場原理で競争して勝った者がいいんだという、その価値観に武術も乗っかってしまったのでは、これは日本の心を伝えるという意味で、むしろ反対であろうと思います。
冒頭に、ユネスコ憲章の前文に「人の心の中に争いというのは起こるんだ。だから人の心の中に平和の砦(とりで)をつくらなければいけない」という言葉がありました。私は半分は賛成ですが、ちょっと反対のところもあります。「砦をつくる」という、そういう何かを守ろうとする姿勢そのものが、おかしいんだろうと思います。
ちょっと話が飛躍しますが、むしろ武術にしてもこれはお手合わせなんですね。人と人と接触して、そこで相手がどう動くかということにどう対応していくか。その人と人との間というものをいかに慈しんでいくかというのが「武」というものだと思います。そうすると、むしろ「砦」などというものを心につくらない、そういう心の在り方というものを築いていくのが武術ではないか。これは私の価値観ですが…」(後略)― セミナー記録は来年春の会誌の出版に向け準備中 ―

稲賀氏のこの話は閃光のように私の心の靄を払った。セミナー終了後、私は稲賀氏の考えに心底共感したこと、“平和の砦”という言葉がこれまでなんとなく腑に落ちないで、もやもやと心にあったことをお伝えした。
稲賀氏から“平和の砦”という表現が原文ではどうなっているか調べたらいかがですか!という示唆をいただいた。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」

ユネスコ憲章の前文にある有名な一節である。
1945年(昭和20年)11月、ユネスコ憲章が採択された当時、イギリス首相だったクレメント・アトリーが演説の中で話した言葉で、それが憲章の前文に生かされたという。

英語による原文は次のような表現になっている。

「Since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men 
that the defences of peace must be constructed;」

アトリーがどのような思いでDefencesという言葉を使ったか不明だが、“平和の砦”という比喩は理解するが、戦争を防ぐための“砦”という言葉が平和を構築しようという文脈のなかにあるのは、なにかそぐわない感じを私は受けていた。
Defenceというのは辞典をみれば、1.防御、防衛 2.(…に対する)防御物、[施設、手段] (~s)とりで、要塞、とある。
“the defences of peace”を“平和の砦”とする翻訳が間違いというわけではないが、少し違和感を覚えるのは前文が生まれた第二次世界大戦が終わった直後の時代と60数年を経過したいまの時代に生きるものの感覚の相違からくるものなのだろうか?と思う。

インドの神話に「悪魔は人の心にのみ住んでいる」という言葉を私は聞いた記憶がある。
あの未曾有の戦火を体験した国々、なかでも戦勝国の間にも自省の気持ちがこめられ、ユネスコ憲章は生まれた。
ユネスコ:国際連合教育科学文化機関は人類が再び戦争を繰り返さないため、世界各国は互いに良く知り合う必要があると活動を続けており、民間団体である私たちもまた、ささやかな国際文化交流活動に取り組んでいる。
「平和というものは政府の約束だけでは達成できない。人と人との協力があってこそ達成できる!」というのがユネスコ憲章の精神である。

(*枠内は旧サイト「福岡ユネスコ丸航海誌」に掲載していた文章です.)

戦後の新しい世界を夢みて

2007年07月03日

戦後の新しい世界を夢みて

去る7月3日、福岡ユネスコ協会の創立60周年を記念して、表記の講演会が開かれました。

このたびの講師Joseph Pittau(ヨゼフ・ピタウ)氏は上智大学の教授・学長を長らく務められ、バチカンでも要職を歴任され、福岡の国際会議やセミナーで何度も発表されました。

「戦後の新しい世界を夢みて」と題して行われた今回の文化講演会で、戦後の日本が歩んできた道を振り返りながら、いまピタウ先生が感じておられる日本の姿、福岡ユネスコ協会の活動の意義をお話しいただきました。
なかでも、冷戦時代には福岡ユネスコの日本語での会議を通して、さまざまな国の垣根を越え、研究者の方々の対話と友情が生まれたというお話が印象的でした。

文化講演と討議

2006年07月14日

テーマ「政治と文学-今世紀の変容に応えて-」
Cultural Lecture and Discussions about Politics and Literature
in Commemoration of the 59th Anniversary of the Fukuoka UNESCO Association

文化講演と討議

*会議メモ*
2006年7月14日 福岡市、天神ビルにおいて開催いたしました。
テーマは「政治と文学 -今世紀の変容に応えて-」

講演者 評論家 加藤周一 氏
議 長 九州大学名誉教授 清水孝純 氏
ディスカッサント 福岡大学名誉教授 石村善治 氏
京都産業大学教授 Romano Vulpitta 氏
加藤周一氏の講演より
(抜粋)
・・・目的地へどのくらい早くいけるかを決めるのはテクノロジー。どの目的地を選ぶかは文学です。文学的な教養がなくて、テクノロジーに鋭敏な社会はどこへ行くかわからない。~(中略)~目標の選択と手段の洗練。両方が必要です。後者は技術者の仕事で、前者は文学者の任務でしょう。社会がそのどちらか一方に傾斜するのは、きわめて危険です。
ロマノ・ヴルピッタ氏の
コメントより(抜粋)
・・・文学には普遍的な価値がある。~(中略)~そして、我々は普遍性のなかで、多様性があることを分かってきました。21世紀は文化の均一化の危険に対して、また文学は人間・人類の多様性を維持できるのではないかと思います。
石村善治氏のコメントより
(抜粋)
文学と法というときの、類似点の一つは法も「ことば」であるということです。~(中略)~政治との関係を考える場合には、法の「ことば」の問題を考えなければいけないだろうと思います。したがって、政治と法と文学というのは、一つの流れの中で考えることができるのではないでしょうか。

*この会議は会誌「FUKUOKA UNESCO」43号に特集しています。

1967〜2005年に行なった催し・セミナー等

2005年12月31日

福岡ユネスコ協会は日本研究者の方々をお招きし、様々な催しを開催してきました。
その一つ一つが、内外の研究者の方々の最新の発表と活発な討議を通して世界の目からみた日本の文化、そしてこれからの日本の在り方を示唆するものと高い評価をいただいております。
福岡ユネスコ協会は今後もこうした日本研究の発表の場をつくり、日本の文化を世界に発信する架け橋でありたいと願っています。
これらの会議、セミナー、シンポジウムは一般の方々に公開しております。会議用語は原則として日本語です。
一部外国語を使用する場合にはその旨を事前にご案内し、通訳や日本語資料の参照などで補います。
皆さまのご参加をおまちしております。

開催年 イベント内容
2. 1967 第2回九州国際文化会議 テーマ「日本近代化と九州の役割」
the Second Kyushu International Cultural Conference
"Japan’s Modernization and the Role of Kyushu"
3. 1971 第1回日本研究国際セミナー テーマ「アジアにおける日本」
the First International Seminar on Japanese Studies
"Japan’s Position in Asia"
4. 1972 第3回九州国際文化会議 テーマ「アジアにおける日本」
the third Kyushu International Cultural Conference
"Japan’s Position in Asia"
5. 1974 第2回日本研究国際セミナー テーマ「新しい日米関係を考える」
the Second International Seminar on Japanese Studies
"Towards a New Phase in Japanese – American Relations"
6. 1977 第4回九州国際文化会議 テーマ「戦後33年の日本」
the Fourth Kyushu International Cultural Conference
"thirty-three years of Postwar Japan"
7. 1979 国際シンポジウム テーマ「マスメディアと国際理解を促す諸条件」
UNESCO International Symoposium
"On the UNESCO Declaration on Mass Media"
8. 1982 第5回九州国際文化会議 テーマ「80年代の国際社会と日本」
the Fifth Kyushu International Cultural Conference
"International Cummunity in the 1980’s and Japan"
9. 1983 ’83 福岡国際シンポジウム テーマ「都市の国際化」
’83 Fukuoka International Symposium "Internationalization of Urban Life"
10. 1984 ’84 福岡国際シンポジウム テーマ「国際化と教育」
’84 Fukuoka International Symposium "Education for Internationalization"
11. 1985 ’85 福岡国際シンポジウム テーマ「国際化とコミュニケーション」
’85 Fukuoka International Symposium "Internationalization and Communication"
12. 1986 第3回日本研究国際セミナー テーマ「海外における日本研究の課題と展望」
the third International Seminar on Japanese Studies
"Problems and Outlook of the Japanese Studies Overseas"
13. 1987 第6回九州国際文化会議 テーマ「現代の日本と世界」
the Sixth Kyushu International Cultural Conference
"Contemporary Japan and the World"
14. 1988 東アジア研究・福岡国際文化会議 ’88
-国連大学研究・研修センター誘致推進-
Fukuoka International Cultural Conference ’88
"On the Problems of Asian Studies"
15. 1989 第4回日本研究国際セミナー ’89 テーマ「日本の近代文学と芸術」-明治期-
the Fourth International Seminar on Japanese Studies
"Modern Japanese Literature and Art"
16. 1990 第5回日本研究国際セミナー ’90
テーマ「日本の近代文学と芸術」-大正期~昭和初期-
the Fifth International Seminar on Japanese Studies "Modern Japanese
Literature and Art"
17. 1991 第6回日本研究国際セミナー ’91
テーマ「日本の近代文学と芸術」-戦前・戦中・戦後-
the Sixth International Seminar on Japanese Studies "Modern Japaense
Literature and Art"
18. 1992 第7回九州国際文化会議  テーマ「90年代の世界と日本」
the Seventh Kyushu International Cultural Conference
"World in the 1990’s and Japan"
19. 1993 第7回日本研究国際セミナー’93 
テーマ「アメリカにおける戦後日本の政治研究」
the Seventh International Seminar on Japanese Studies
"Political Studies of Postwar Japan in the United States"
20. 1994 第8回日本研究国際セミナー ’94 テーマ「近代への転換期における藤村文学」
the Eighth International Seminar on Japanese Studies
"Toson’s Literature at the Turning Point to Modern Times"
21. 1995 戦後50年記念・国際シンポジウム ’95 
テーマ「戦後50年の日本の文化・社会・ジャーナリズムの思想的変容」
UNESCO International Symposium ’95
"Changes in Cultural, Social and Journalistic thought in the Fifty
Years of Postwar Japan"
22. 1996 福岡国際シンポジウム’96 
テーマ「日本の近・現代をめぐって-日・独近代化の視点から-
Fukuoka international Symposium ’96
"On the Modern and Contemporary Period of Japan
– From a Viewpoint of Modernization in Japan and Germany -"
23. 1997 第8回九州国際文化会議 テーマ「21世紀への課題と展望」
the Eighth Kyushu International Cultural Conference
"Problems and Perspectives Towards the 21st Century -"
24. 1998 第9回日本研究国際セミナー ’98 
テーマ「ロナルド・ドーア教授の日本研究50年」
the Ninth International Seminar on Japanese Studies
25. 1999 第10回日本研究国際セミナー ’99 テーマ「ドナルド・キーン教授と日本文学」
the Tenth International Seminar on Japanese Studies 
26. 2000 第11回日本研究国際セミナー 2000
テーマ「世界における日本研究と加藤周一」
the Eleventh International Seminar on Japanese Studies 2000
27. 2001 第12回日本研究国際セミナー 2001 テーマ「21世紀の世界と日本の課題」
the Twelfth International Seminar on Japanese Studies 2001
28. 2002 第9回九州国際文化会議 テーマ「21世紀の世界と日本の選択」
the Ninth Kyushu International Cultural Conference
29. 2003 第13回日本研究国際セミナー 2003 
テーマ「国民文学を考える-『宮本武蔵』と『竜馬がゆく』-」
the thirteenth International Seminar on Japanese Studies 2003
30. 2004 第14回日本研究国際セミナー 2004 
テーマ「自由主義者 石橋湛山の思想と評論」
the Fourteenth International Semiar on Japanese Studies 2004
31. 2005 第15回日本研究国際セミナー 2005 
テーマ「日本近代文学の回顧と展望-21世紀を迎えて-」
the Fifteenth International Seminar on Japanese Studies 2005

*2007年以降の催しは、このコーナー内の記事をご参照ください。

第一回 九州国際文化会議

1962年12月31日

テーマ「日本における東西文化の接点としての九州」
The First Kyushu International Cultural Conference
“Kyushu as a Contact Point of the Cultures of East and West in Japan”

第一回九州国際文化会議
福岡ユネスコ協会創立15周年を記念して1962年に開催されました。
当協会で初めて開催するこの文化会議にあたって、次のような三つの特色がつくられました。福岡ユネスコ協会の活動には、この三原則が生き続けています。

日本を外国の人々に理解してもらう

国際間の相互理解のためには、外国文化を学び、摂取するだけでなく、日本を広く知ってもらう必要があります。

会議用語を日本語にする

当時の日本では、まだ敗戦という意識が手伝ってか、日本で催す国際会議でも日本語は公用語から外されていました。
しかし、日本を理解してもらうには、日本語によって理解してもらうのが一番よいのではないか。
こうして、日本語による国際交流という小さな道筋がつくられたのです。

自主的な企画と自主財源

当協会は自主財源をつくって独自の企画を主催しています。それは、福岡の地域のみならず、日本全国の企業や個人の方々の温かなご理解とご協力によるものです。
さらに、福岡県、福岡市、北九州市等からの補助金によってその財政を確立しています。
こうして、小さな規模ではありますが、主体性のはっきりした“自由な意見の発表と討議の場”を生み出しています。

*会議メモ*
〈日 時〉 1962年(昭和37年)11月6日~8日
〈会 場〉 福岡市、天神ビル「大ホール」
〈テーマ〉 「日本における東西文化の接点としての九州」
〈会議参加人員〉 海外:11カ国 27名   日本:95名

〔討議〕
講演1 「大陸文化と西方文化の窓口としての九州」箭内健次氏(九州大学教授)
講演2 「近代日本の推進力としての九州」大久保利謙氏(立教大学教授)
講演3 「日本経済における九州の役割」高橋正雄氏(九州大学教授)

〔シンポジウム〕“日本文化について”
(パネリスト)
Dr. Friese Curt (ドイツ大使館文化部長)
Mr. G. Komarovskii (ソ連大使館文化担当官)
Mr. S. El. Gawhary (アラブ連合大使館文化参事官)
Dr. C. B. Fahs (アメリカ大使館公使、文化局長)

講演会・セミナー活動について

福岡ユネスコ協会は日本研究者の方々をお招きし、様々な催しを開催してきました。 その一つ一つが、内外の研究者の方々の最新の発表と活発な討議を通して世界の目からみた日本の文化、そしてこれからの日本の在り方を示唆するものと高い評価をいただいております。 福岡ユネスコ協会は今後もこうした日本研究の発表の場をつくり、日本の文化を世界に発信する架け橋でありたいと願っています。 これらの会議、セミナー、シンポジウムは一般の方々に公開しております。会議用語は原則として日本語です。 一部外国語を使用する場合にはその旨を事前にご案内し、通訳や日本語資料の参照などで補います。 皆さまのご参加をおまちしております。

event